現代の音楽に関する「数字信仰」について。(THE BOOMの元ベーシスト・山川浩正氏による特別寄稿)

現代の音楽に関する「数字信仰」について。(THE BOOMの元ベーシスト・山川浩正氏による特別寄稿)

■視聴回数が多い楽曲は優れた楽曲なのか?

プロのミュージシャンの立場として言わせてもらうと、Youtube等の視聴再生数が多いからといって、必ずしも良い楽曲とは言えないのが事実だ。プロの目線から見れば、楽曲の作り込みや歌詞の深さなど、本当に良い楽曲かどうかは判断できる。もちろん、良い楽曲だから売れるというわけでもないところが音楽の不思議なところだが、楽曲制作の「プロフェショナル」という立場から見れば、Youtubeの視聴再生数が多くても素人の域を出ない楽曲も多い。

そして最も懸念していることは、最大の指標が「視聴再生数」から始まることだ。かつては楽曲が良いから口コミで拡散された。ところがいまは「視聴再生数が多くない楽曲は、評価されていない楽曲で、良い曲ではない」という印象を持たれてしまう。

友人に推しのバンドを教えるときも「Youtubeで100万回以上再生されているバンドなんだ」などと伝えることはよくある。もちろんバズる要素を持っているのだから何かしらの魅力はあると思う。でも、より重要なのは逆の側面だ。

つまり「再生数の少ない楽曲が、優れていない。良い音楽ではない。」という価値観である。かつてはマイナーなミュージシャンやインディーズバンドなど「知られていないこと」が希少価値だった時代もあったが、いまは視聴数が多い方が王様だ。極端な言い方をすれば、いまは楽曲を評価しているのではなく、数字を評価しているのである。

■ハードルが下がったことには異論はないが……

インターネットを通じて誰でも音楽を通じた表現ができる環境について、僕は否定するつもりはない。インターネットがあるからこそ脚光を浴びたミュージシャンもいるし、とても良い時代になったと思う。しかし、ここで気をつけたいことが2つある。ひとつは視聴数至上主義だ。

Youtubeで収益化するのは決して簡単ではないが、誰もがやはりそれを考える。音楽活動を続けてYoutubeに投稿するだけで食べていけるならそれはミュージシャンにとって正に夢のような生活だが、実際はそんな簡単ではない。再生数が増えないと、楽曲について考えるより再生数を伸ばすための施策ばかり考えるようになる。

再生数が多いほかのミュージシャンを参考にしたり、サムネイルやタイトルの工夫をしたりといった具合だ。もちろん見てもらうための努力は必要だ。ただ、中にはYoutubeのアルゴリズムを研究して、バズっている動画の関連動画に出す施策に没頭しているミュージシャンすら存在する。これでは本末転倒だ。音楽を通じて何をしたかったのか、わからなくなる。

もうひとつが「プロ意識の差」だ。もともとプロのミュージシャンとそうでないミュージシャンには大きな差があった。その根拠となるのが「オーディション」だ。過去、ミュージシャンとして活動するためにはオーディションを通過する必要があった。だから売れる売れないは別として、一定以上のクオリティを持っていなければミュージシャンとして活動することはできなかった。

かつてはアーティストとして評価されることが難しかったアイドルなども、楽曲自体はプロフェショナルがつくっていた。プロの作詞家や作曲家が手掛けていたのだから、過去のアイドルももっと評価されても良かったとも言える。さらに付け加えるのなら、衣装やステージなども当然プロの手によって作られたものだった。

つまりプロも素人も混じって数字競争をしているのが、現在の音楽なのだ。そしてその評価が再生数によって行われている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7add7796e756bc56876500255274b34fb0d8b19e?page=2